まず、なんでスリランカ?
って思うよね
「スリランカ」 と聞いて何を思い浮かべる…?
スリランカとは、シンハラ語で
「光り輝く島」 という意味で
南アジア インド洋に浮かぶ島国
その島の形から、
「インド洋の涙」と言われることもあるんだって。かっくいいー
もとはセイロンという国でした。
セイロンティーって聞いたことあるよね?
紅茶が有名で
その生産量はなんと世界第2位
私は紅茶が大、大、大好きでして。(嘘)
(貴族か!)
国の大きさは北海道よりも少し小さい程度ですが
それでも8つもの世界遺産があり
非常に興味深い国なのです。
(いやいや、もっと近くに興味深い国あるだろ!って)
どうしてもスリランカに行ってみたかったんです。
~旅は、行きたいと
思った時が行き時~
と、
~バックパックに入らない人生の荷物は背負わない~
をモットーに
旅をするために
日々 家にこもるのです。
(誘って!?笑)
いやいや、理由はそれだけじゃないよ?
行きたかった遺跡にビーチ、
等々…
それはこの後のブログで一つずつ紹介したいと思います。
なんといっても
日本ではあまり知られていない
日本とスリランカの関係、
両国の交流に尽力し
後に大統領にもなった
ジャヤワルダナ氏に強く感銘を受けました。
第二次世界大戦で負けた日本は、
サンフランシスコ講和会議において
戦勝国から厳しい賠償と制裁を求められていました。
ソ連、アメリカ、イギリス、中国から
うちらは日本のココを貰おう!
なんていう日本分割案なんかも飛び出していました。
しかしセイロン代表として出席したジャヤワルダナ氏は、、
~「日本の掲げた理想に
独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい。
我々は日本人に機会を与えてあげねばなりません。
そうであるから我々は、
ソ連代表の言っている、日本の自由は制限されるべきである
という見解には賛同出来ないのです。」~
と日本の自由と独立を訴えたのです。…>_<…
(ちなみに戦争で日本はスリランカを空襲しています…)
~「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる
人は憎しみによっては憎しみを越えられない」~
このスピーチが各国代表の心を打ち、
厳しい制裁措置を求めていたソ連の反対をも押しきり、
日本の国際復帰へ繋がったといわれています。
この後、日本は世界一早く
正式にスリランカと外交を結んだのです。
(だから日本とスリランカって実は密接な関係にあったんです。
あまり知られてないよね。。)
そして彼の死後は
遺書に基づき
片方の角膜はスリランカ人に、
もう片方は日本人へと提供されました。
天国にいった後も
日本とスリランカの未来を
見守っていたかったんでしょうか…
もし、戦後分割されていて
自分の住む北海道がソ連の占領下にあったとしたら…
と考えるとどうなっていたのか怖くなりますね…。
そんな偉大なジャヤワルダナ氏がいた国、
そして
(俺を裏切ることのない)
古代都市を目指して
光り輝く島
スリランカに行ってきました。
つづく…
(あれれ…
ちょっとマジメな話になっちゃった笑
こんな話も、
できるみたいだ…笑)
「バンコクの夜 ②」
「スリランカって? ③」
「ダンブッラ ⑤」